三上誠「Untitled」
日本画の前衛集団「パンリアル美術協会」の旗手にして、非業の人生を歩んだ画家として知られる三上誠による一作。
1952年に肺結核を患い、治療の結果11本の肋骨を失ったが、結局結核の再発により1972年に死去する。また薬の副作用により幻覚症状も現れていた。このように生涯を通じて病に苦しめられた三上だが、この作品が描かれた頃は精神的にも追い詰められまさに満身創痍の状態だった。立て続けに開催される展覧会のための制作により自身の体は弱っていき、さらに1960年に結婚した妻・乾昌子の神経症は三上誠自身の余裕も奪い家庭内は常に緊張状態だったという。
シワを付けた鳥の子紙を画面に貼り付け、蠟状の黒色をこすり付けたこのような作品群は1960年頃より制作されている。1962年頃からは段ボール紙や木片を用いた作品に向かうが1965年頃よりこの作品群にまた立ち戻った。前期と、間を挟んだ後期の作品を見比べるとやはり少し異なる。前期には自身の荒寥とした感情を乗せながらも絵肌の質感の追及に重点を置いていたように感じるが、後期の作品では作品郡の多くに『輪廻』というワードが含まれることもあり、同じ場所にベクトルを向けているようには見えない。自身の苦境からか東洋医学、暦法、易学、仏教の輪廻転生観の影響が色濃く出始め、思索の先で達観していき、知覚できえない概念を手探りで形作っていくように描いていると思わせる。
三上のその東洋的思想観を主題として掲げる様は、顔料に油絵具は決して使わず、岩絵具しか用いないというその姿勢と相まって、目指すところに洋画と日本画の境界を無くそうとするような今風な目標を掲げるではなく、東洋と西洋を二元論化し、西洋の真似ではない、あくまでも文化に根差した新しい日本の絵画を開拓しようとしていたように思わせるのだ。