ゲルハルト・リヒター「Miniatures」
1992年に制作した「アブストラクト・ペインティング」の1作を64分割し、サインを入れてそれぞれ一点の作品とした異色のシリーズ中の一作。
一見すると作品の唯一性などを捨てて、絵画を多売する商業的計画のようにも思えるが、当時既にリヒターは齢60を超える大画家であり、金に困るような立場では無かった。では何故リヒターはこのような作品を制作したのだろう?
絵画を切り取るという意味でいえば、まず「トリミング」という言葉が思い浮かぶ。「トリミング」とは絵画や写真の一部を切り抜くことで構図を変える手法である。より良い画面を作り出そうという画家、もしくはトリミングを行う者の意志からくる行為だが、均等に64分割したこの作品から、その意志を読み取ることはできない。むしろ構図という作為を取り除いているともいえる。逆説的に言えばこの機械的に切り分ける手法とは構図は不要という意志を、リヒターが我々に示すためのものなのかもしれない。そもそも「アブストラクト・ペインティング」はスキージと呼ばれる大きなヘラで絵具を何層にも塗り重ねた後、部分的にそれを削ぎ落としていくことで画面を作り出す抽象画のシリーズである。リヒターの中で最も作品数が多いこのシリーズで彼は何を表現したかったのだろう。特殊な技法ではあるが、アクション・ペインティングのように偶発性に重きを置くわけではなく、このように構図を除外している様からは、何かひとつの主題を重んじているようにも感じない。おそらくそれは色彩や筆致という純然たる絵画的要素の探究なのではないだろうか。確かにこの小さな作品においてさえ、肉体的とも機械的とも捉えられる引っ張り跡や、夢想の痕跡かのようでいて理知的に見えてくる絵具のレイヤーから、すぐにリヒターの作品であると分かるような独自性を感じる。
勿論、実験的に構図という観念を捨てて作った一種の変わり種、意欲作と捉えることもできる。しかしこの作品はもしかしたら、絵画や写真の概念に対して意図的に追及しドイツ最高峰の画家とまで称されるリヒターが、自身の抽象画への在り方を示すために作った指標的作品であり、自作への見方を我々に指南するためのメッセージなのかもしれない。